坂本乙女〜龍馬を育てた姉

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日本を今一度せんたくいたし申候

 

姦吏と一事に軍いたし打殺、日本を今一度せんたくいたし申候事にいたすべくとの神願にて候。

 

これは坂本龍馬が文久3(1863)年6月29日、姉・乙女に宛てた通称「エヘンの手紙」と呼ばれる手紙です。

 

「日本を今一度せんたくいたし申候事」

 

龍馬といえば必ず出てくるこの言葉を姉・乙女はどんな気持ちで受け止めたのでしょうか。

 

 

坂本乙女(留)は天保3(1832)年2月2日、土佐藩郷士坂本八平と幸の三女として生まれました。

乙女は父譲りで身体が大きく、身長・約174cm、体重・約110kgあったそうです。

 

薙刀がうまく、剣術は切紙の腕前、馬術・弓術・水泳も得意で、琴・三味線・舞踊・謡曲・経書・和歌などの文芸にも長け、特に浄瑠璃の一流派・義太夫節が好きで、寄席の高座で語ったりして、幅広く文武を学んだ人物でした。

 

弘化3(1846)年に母・幸が亡くなってからは、3歳年下の龍馬を、乙女は母親代わりになって面倒をみます。

 

龍馬はなかなか夜尿症が治らず、乙女は夜中に寝ている龍馬を一度起こして便所に行かせることを根気よく続けて克服させました。
そして剣術で龍馬の身体を鍛え、書道・和歌などを教え、太閤記、源平盛衰記、三国志などの書物を龍馬に読み聞かせたことが、後の龍馬の人生に大きな影響を与えたといわれています。

 

安政2(1855)年12月4日、父・八平が他界し、翌年8月、龍馬は2度目の江戸への剣術修行に出かけますが、同年、坂本乙女は典医・岡上樹庵と結婚します。

 

乙女の夫・岡上樹庵は山内容堂公の典医を勤めていて、坂本家に近い木丁筋二丁目に住んでいました。

結婚後、一男一女(赦太郎・菊栄)をもうけますが(菊栄は乳母・富貴の子ではないかという説もあります。)、家風の相違や夫の暴力・浮気などが原因で慶応3(1867)年に離婚し、実家に戻ります。

 

ここで大きく話が逸れますが、日本の離婚率というのは、実はかなり大きく変化しています。

 

明治以前はしっかりと管理された戸籍が存在しないため、はっきりした数値はありませんが、江戸時代の農村部では40%を超える離婚率だったといわれています。

 

当時は離婚は”恥”だとは考えられていなくて、うまくいかなければ離婚していたそうです。

 

この”離婚は恥”という観念が強くなるのは明治以降になるのだそうで、この”恥”の観念が極まったのが1960年代で、離婚率は一気に1%を切るほど低くなりました。

 

今はその頃と比べれば離婚率は欧米諸国とあまり変わらない水準まで引き上がりましたが、それでも”離婚=恥”と考える人は少なくないように感じます。
そう思うと、その時代時代による教育や風習によって作られていく”常識”や”観念”って本当に怖いですよね。

 

話を戻します。

乙女が岡上樹庵と離婚した年、坂本龍馬は京都近江屋で暗殺されてしまいます。
会えない間、何通も手紙を交換し、心を通わせ合った大切な弟・龍馬が無残に殺されたのです。
乙女も自ら国事のために尽くしたいと龍馬に手紙を送りますが、その死によって、それも全て立ち消えになってしまいました。

 

その後、龍馬の妻、お龍が訪れますが、長く同居することはありませんでした。

 

明治5(1872)年、元夫・岡上樹庵と息子・赦太郎が亡くなります。

 

乙女は晩年は独と改名し、養子の坂本直寛と共に住み、平井収二郎妹・加尾と交流を持ち、穏やかに暮らしますが、明治12(1879)年、壊血病に罹り死去します。

 

享年47。

 

当時、死の病でもあったコレラの感染を恐れて野菜を食べなかったことが原因だったといわれています。

 

話が前後しますが、乙女の夫・岡上樹庵の娘・菊栄(慶応3(1867)年9月9日生)は、5歳の時に父・樹庵と兄・赦太郎が亡くし、岡上樹庵の後妻のもとで生まれた妹の政(当時2歳)と共に、孤児になります。

 

菊栄は物心ついた頃から絶えず乙女のもとを訪れて幾晩も泊ったり、乙女の武士道的教育を受けたりしたそうですが、菊栄が12歳の時に乙女が死去し、その後、生活苦と戦いながら苦学の末、教員検定に及第し、明治43(1910)年、高知慈善協会博愛園の初代園母に就き、孤児達をいつくしみ育てる事業に後半生を捧げました。
高知県慈善事業界の功労者として、今もその徳行が称えられているそうです。

 

最後になりますが、冒頭の坂本龍馬の手紙の文の出だしは、

 

この文ハ極大事の事斗ニて、
けしてべちや〳〵シャベクリにハ、
ホヽヲホヽヲいややの、けして見せられるぞへ

(この手紙はとっても大事なことばかりだから、
ベラベラ喋るヤツには
けっして見せちゃダメだよ!)

 

という、龍馬らしいユーモアたっぷりだけど、表に出さないでね!と強く念を押す内容なんです。

そう思うと、

「日本を今一度せんたくいたし申候」

 

なんて、みんなが堂々と使ってるのって、龍馬は少し不本意なのかもしれませんね(^^)

 

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